Japanese version of my recent blog post about Chinglish

Translated by Kimie Takahashi (高橋 君江)

このシナリオを想像してみてください。もしNew Yorkタイムズがブロンド女性を馬鹿にするジョークや黄色人種の面白エピソードを募集したとしたらどうでしょうか?さらにその応募キャンペーンが盛り上がり、ブログや Facebookやツイッターでそれが出回り、さらには、ジェンダー、エスニックの学者達がそれを取り上げ、「なぜブロンド女性や黄色人種はこんな馬鹿な ことをするのか」などと分析しだしたりしたらどうなるでしょうか?

もちろんこのシナリオは起こらないはず。そんな事はあきらかに性差別そして人種差別行為にあたるからです。私たちはジェンダーと人種の議論に関 しては、かなりの進歩を遂げてきました。今、その教訓を言語にも生かすべきだと思います。言語を馬鹿にするということは決して「面白い事」ではありませ ん。性差別、人種差別と同等の事です。しかし、他の差別は「だめ!」と思っている方が多い中、言語差別はいまだに広く存在しています。

New Yorkタイムズは最近「Chinglish - チングリッシュ」という記事を掲載しました。とても大きな反響があったため、さらに「外国の変な掲示」を募集しました。アカデミッ クなブログでさえ「なぜ中国語からの不注意な翻訳が変な英語になってしまうのか」という分析まで登場しました。

個人的に、「変な掲示」を皮肉るのは問題ありません。私が問題 と感じるのは、「ネイティブスピーカーのスタンダード」と違うものを馬鹿にする事です。英語を習え習えとまくし立てながら、同時にコンプレッ クスを植えつける。それが年商何兆円というTESOL業界のやり方です。まさに悪徳。そして倫理に欠ける行為です。

実は、New Yorkタイムズは二度ほど間違いの訂正を発表しています。なにやら、中国人の方の役職そして中国語・英語の翻訳ソフトウェアのつづりを間違えたとか。それに皮肉を感じているのは私だけでしょうか?

Author Ingrid Piller

Dr Ingrid Piller is Professor of Applied Linguistics at Macquarie University, Sydney, Australia. Ingrid’s research expertise is in the fields of intercultural communication, bilingual education and the sociolinguistics of language learning and multilingualism in the contexts of migration and globalization.

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  • 加藤明子

    強く同感!!!!!!!

  • 淺川真帆

    同感です。
    差別によって徳する人たちのためのシステムが出来上がってしまい、疑問さえ持たせない世の中になっている気がします。

  • Masaki Oda

    日本語への翻訳ありがとうございます。「英語の世界」の中でこのようなことが起こっていることについても、翻訳されなければ多くの人が問題に気がつかないのも皮肉ですね。とにかく英語対中国語の問題ではなく、特定の言語がその力を濫用する現状を許すべきではありません。言語の研究に携わる者は真剣に何ができるか考えるべきですね。

  • 加藤さん、淺川さん、小田教授、コメントありがとうございます。言語差別に見えますが、根底には人種差別があると思います。ドイツ人やフランス人が話す英語を屈辱するようなウェブサイトは見かけません(あったら教えてください)。フランス人がしゃべる英語のアクセントは「セクシー」とかもいわれ、「日本人のアクセント素敵」など聞いたこともありません。

    日本の英語専門家の方々の間で、日本人やアジア人の英語を軽視し周辺化する傾向があります。ネット上の英語教育についての議論でも同じことが見受けます。いままで英語で情報を発信してきましたが、これからは多言語のアプローチにできるだけ切り替えたいと思います。

    是非生徒さんにこの疑問を投げかけてあげてください。淺川さんがおっしゃるように、「疑問さえ持たない」のが現状です。津田教授の「英語支配の構造」は興味深く読ませていただきました。共感できるところとできないところがありましたが、いろいろな議論がされる必要があると思います。

  • スガノモトコ

    遅まきながら、感想を。
    「標準的な英語」=「自然な英語」=「ネイティブの話す英語」というような、実に曖昧な価値基準を、英語の学習者だけではなく、教師も内在化してしまっているのかもしれません。後者は特に厄介ですね。英語に対する劣等感を制度的に植え付けているようなものですから。英語が上手になってほしいという教師の願いと、「上手」=「ネイティブ英語」という世間の基準の間で、教える側の言語感覚や問題意識が問われると感じます。自戒を込めて。